「ちはやふる」あれこれ

「ちはやふる」ほか、好きな漫画、アニメなど。

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はじめに

当ブログにお越しくださいまして、どうもありがとうございます。
管理人のねこむぎこと申します。


●当ブログの内容

漫画「ちはやふる」の個人的感想ほかあれこれ。
今まであまり深読みをしないコミックス派の一般読者でしたが、この期に及んで色々語ってみたくなりました。本誌掲載後、単行本収録前のネタバレを含むことがありますので、コミックス派の方は閲覧にはご注意ください。
不定期更新です。

なお、掲載記事の無断引用および転載は、固くお断りいたします。
どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。




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太一は何のためにかるたをするのか?

【注意】
・ ちはやふる29巻部分のネタバレを含みます。
・ 長いです。しかも、問いに対する明示的な解を憶測でしか提示できていません。
・ 太一への愛は十分にあるつもりですが、あらちはエンドを前提として
  考えています。



物語の裏主人公、真島太一(Wiki認定)が何のためにかるたをするのかについては、簡単には答えの出ない問題で、「ちはやふる」という物語の肝の一つと言っても過言ではないのではないかと思います。現時点で太一自身にも恐らくは分かっていないことで、理由も一つではないのかもしれません。太一の成長と絡めて物語の終盤でその答えが明かされるのかもしれないと期待していますが、待ちきれなくて(笑)考えてみました。


27巻の周防さんとのやりとりによって、太一は「かるたを好きではない」が、「周囲のかるたをする人々が好き」だから、「かるたが心底好きな人々に囲まれてかるたをすることに堪えられた」ということが明らかになっています。そして、150首の周防さんとのかるたで、「チームを手放して一人になって初めてかるたが楽しい」と述懐しています。

以下に、太一がかるたをする本当の理由について、可能性のあるものを並べてみます。


①千早のため

高校1、2年の間は、千早と一緒にいたかった、千早を支えるためだったという側面があるのは否定しませんが、恐らくそれは根本理由ではない。太一は、千早と離ればなれだった中学時代も白波会から離れたところでかるた同好会で細々とかるたを続けていますし、千早への告白後も瑞沢チームや白波会から離れて周防さんとかるたを続けています(さらに小説版では、かるた同好会は太一が自分で作ったとされている)。ということで、「周囲のかるたをする人々が好き」は、チームの中で堪えられた理由であって、太一が何のためにかるたをするのかという答えにはならない。

ただ、千早の目線の先には常にかるたが強い人(新、詩暢ちゃん)がいたため、千早の視界に入るほど強くなりたい、千早に勝ちたいというのが強烈な動機として存在したのは確かだと思います。(17巻の千早のモノローグ「太一がA級、つまりライバル!」の後の太一の嬉しそうな顔と言ったらないですよね。)


②「卑怯じゃない人間になりたい」

よく太一のモノローグにも上がっているフレーズで、理由の一つではあるのでしょうが、その自己実現のための手段がかるたである必然性がない。小学校、中学校とずっと続けてきたサッカーでも良かったわけですが、そうはしなかった。

感じ方は人それぞれだと思いますが、私は個人的には、高校に入ってからの太一を卑怯だと感じたことはないのです。(小学生時代はフォローのしようがないですけどね。千早のことがあったとはいえ、新をいじめたり、眼鏡を隠したり、新が見えていないのをいいことにこっそり札の配置を変えたり。。。)
一般的には、程度の差こそあれ誰にでも黒歴史の一つや二つありそうなものですが、太一は子供の頃の卑怯な自分を忘れずに向き合って、それを正そうとし続けた。その志は尊いと思います。

26巻で千早に無理やりキスして呪いのような言葉を吐きつけたことを卑怯だという意見もあるかもしれませんが、個人的には卑怯というよりは未熟なゆえのみっともなさ、八つ当たり、やり場のない憤りだと感じました。実際、過去にも太一は先にA級に昇格した肉まん君や、チーム作りに興味を持った新に八つ当たり発言をやらかしてますしね。ケツの穴が小さいのとズルいところがあるのは小学校時代から相も変わらずといったところですが、「卑怯じゃない人間になること」についてはすでに努力によって達成されているのではないでしょうか。

卑怯な自分というのは、千早には一番知られたくない太一の暗部です。眼鏡の一件が、長きにわたって非常に重い足枷となっていたのは、当時、千早が太一はそんなことをする人ではないと信じてくれていたのに、新に「千早には言わないで」「千早には嫌われたくない」と口止めして済ませようとした行為が卑怯な行為だったと、太一が認識しているからだと考えられます。

新の眼鏡を隠したことを、5年の歳月をかけてやっと千早に打ち明けた末に、好きな気持ちを告白できた。足枷をやっと外すことができたという感じでしょうか。マイルールで自分を縛り上げ、能力が高いばっかりに際限なく彷徨い続けているようで、見ている方が苦しいですね。ま、眼鏡の件は千早にしてみれば、「ハァ・・・!?」としか言いようがないですけど、裏返せばそのギャップが太一の自縛行為の凄まじさなのだと思います。


③「青春全部懸けたって新より強くなれない」 → 「まつげくん、青春全部懸けてから言いなさい」

これは核心に迫るものがあるような気がしますが、理由そのものかと問われると少し違うような気がします。

「勝てるものだけで勝負しなさい」とミセスプレッシャーから育てられた太一。
一つには、圧倒的なかるたの実力を持ち、恋敵でもある新に対し、勝てなくても勝負に向かっていける自分になりたいというのが動機としてあったと思います。高校2年の全国大会団体戦決勝で、新に似た雰囲気を持つ富士崎主将のエロムに対し、「団体戦のおれは新だって怖くない」と自ら向かっていった。また、絶望的に思える場面で「3勝するぞ」と仲間を鼓舞した(15巻)。(このシーンは、心から感動しました。) 
さらに、高松宮杯(26巻)で実際に新と戦っているわけで、勝てなくても勝負に向かっていける自分というのはクリアされています。

二つには、文字通り青春全部懸けて新より強くなりたいという動機。

22巻の挑戦者決定戦で新と戦う原田先生を見て、太一は「青春全部懸けてきたからこそ怖いんだ」「何も残らなかったら?悔しさしか残らなかったら」と述懐していますが、太一にとって青春全部懸けて残ってほしいものは、本当に「新に勝つ」「千早に勝つ」「千早と結ばれる」というところにあったのかどうか。決定戦での原田先生の勝利に涙し、「原田先生は青春どころかずっとずっと」というところに、その先にあるものの予感を感じ取った太一の迷いと困惑が見て取れるように思います。


④「自分になりたい」
「原田先生、おれにもできるかな。負けながら、泣きながら、前に進むことが。新に向かっていくことが。」

「負けながら、泣きながら、前に進むこと」ができる自分になること。(新に向かっていくことはその象徴?)
これが最も正解に近い気がするのですが、実際問題とても難しくて曖昧な感じがします。身も蓋もない話ですが、どんな自分になりたいのかという着地点は、結局は太一自身が見つけるより他はないからです。

二つ目の「原田先生、おれにもできるかな。負けながら、泣きながら、前に進むことが。新に向かっていくことが。」は、「青春全部懸けてから言いなさい」と密接にリンクしています。物語が進むにつれて、太一の心境も、早くA級になって同じ土俵に立ちたい → 負けると分かっている勝負でも立ち向かう → 負けて悔しい → 勝ちたい(?)と、ステージが変化しているように思います。たとえカッコ悪くても、「負けながら、泣きながら」確かに前に進んでいるのです。それこそ、「青春全部懸けてきた」と自負できるほどに。


太一を形容する代表的な言葉に「不憫」というのがありますが、私は太一のみを殊更に不憫キャラとして扱うのは何か違う気がします。かなちゃんや白波会の女性キャラの度重なる発言で、なんか太一って不憫とか不運とかいう気にさせられますが、太一が報われないのはほぼ恋愛の一点のみで、特に高2以降のかるたの戦績を見ると、特別「感じ」の才能には恵まれなかったものの、それ以外の才能(記憶力、戦略、体力、覚悟、体格など)には十分に恵まれ、何より「感じ」の悪さを補う試合の組み立てができるレベルにまで到達しています。太一の努力は、確実に戦績(A級上位に食い込んでいる)に表れているといっていいでしょう。(恋愛面では、太一の行動が結果的に千早と新の仲立ちとなったりしていて、確かに不憫な立ち位置だと思います。)

不憫さ比べで言ったら、例えば、大人の都合で別離を2回、貧乏、いじめ、介護、さらには大好きなじいちゃんを一人で死なせた咎に向き合って大好きなかるたを1年半とることができなかった新の比ではないはずです。また、いつまでたってもA級に昇格できず、後輩にも追い抜かれていくヒョロ君も、相当不憫でしょう。蛇足ながら、「努力」「優しい」「強い」といった表現も、「ちはやふる」に登場する男性キャラ(女性キャラもかな?)のほとんどすべてに当てはまるのではないでしょうか。

まぁ、「イケメン」は圧倒的に太一の一人勝ちですね。(綿谷始(34)の降臨を除く。)
次点は、新。(個人的には、「男前」であれば新の圧勝だと思っています!)
心のイケメンは村尾さん、机君ほか皆。・・・閑話休題。

このように考えると、太一個人を形容する独自性のある言葉があまりないのが分かります。(「ケツの穴が小さい」「ズルい」「器用貧乏」を挙げるのは、それこそ太一が不憫ですし、なりたい自分でもないでしょうからスルーの方向で。「器用貧乏」はすでに脱しつつありますしね。)


さて、小学生時代の太一がインターネットで近隣のかるた会を調べて白波会に行ったのは、千早が関心を持った新とかるたへの対抗心があったと思われますが、受験で忙しくてもかるたを続けようと思ったのは、チビ新の天然タラシ発動シーン、「ナイス、太一」なんですね。言われた太一は、千早が新からかるたの才能があると思うと言われた時と同じように、キラキラしています。明らかに「嬉しい」と思っている。また、原田先生からこれからも白波会に来るかどうかを尋ねられて、「ナイス、太一」を思い浮かべて、塾があってもできるだけ来ますと言っている。このセリフの何が太一の心の琴線に触れたのか想像するしかありません(新の信頼が嬉しかった、とかでしょうか?)が、もしかしたら「自分になる」ための可能性をそこに見出したのかもしれません。ともかく、新に出会って価値観を揺さぶられたのは千早だけではなかった、ということは言えるかと思います。

結局「太一は何のためにかるたをするのか」という問題の前には、「太一にとって新とはどんな存在なのか」という問題が横たわっているような気がします。太一にとって、新は卑怯な自分をさらけ出した唯一の人(告白後の千早を除く)で、「千早には嫌われたくない」という太一の気持ちに共感し、その卑怯さを許してくれた人です。
友人、チーム、恋敵、ライバル、憧れ、コンプレックス、怖れ、壁・・・まだまだ他にもあるような。。とにかく複雑すぎます。
わざわざかるたという新の土俵で戦い、名人になりたいわけでもないのに修学旅行を休んでまで名人戦予選で東日本代表を目指したり、名人戦後に一人残って高松宮杯に出場したり。ドM属性ということを差し引いても、「この人はどうしてそこまで・・・」と思わざるをえません。

太一は恐らく客観的には、過去、現在、未来にわたってほぼすべてに恵まれた勝ち組人生を送るのでしょう。しかし、恵まれた勝ち組人生に価値を見い出せず、過去から現在に至るまでの自分自身を許容できていない状況のようにも思えます。でもようやく、少しずつですが、自分自身の特性と向き合えるようになってきた感じですね。(ポカ作さんや東西戦での原田先生や新を思い浮かべて、「あんなふうになりたい、でもなれないのがおれ」とか。周防さんとの試合でズルいと言われても「才能ないんで工夫しないと」とか。)

ズルくったっていいじゃない、使い方さえ間違えなければ。
高校2年の全国大会団体戦決勝で、富士崎主将のエロムのお手付きを誘ったあのシーン。あれぞまさしく太一の真骨頂だと思います。
149首でヒョロ君がいいことを言っていました。
「試合のために相手を心理的に揺さぶるのは悪いことじゃねえ。でもそれがただのお前の了見の狭さなら今のうちに自覚しとけ。」
大事なので二度言いますが、使い方、重要ですね。

太一という人は究極的には自己満足の世界の住人で(←ヒドイ)、長い旅路を経て自分で納得のいく答えを見つけるしかないのかもしれません。でも、高2の高校選手権団体戦決勝で太一が自覚したように、熱をくれるのは今まではいつも千早だったとしても、みぞおちの下から湧いてくる熱いマグマのようなものは太一自身の中に確かに存在しているはず。「自分になりたい」とは、本質的には他者に情熱を委ねるのではなく、自分の心から沸き起こるものに出会うこと、そして自分自身の意思で熱さを持続させることなのかもしれないなと感じます。

ちはやふるの世界で、太一のことを好きではない、もしくは許容できないのは太一本人のみ。太一杯は、太一の別離に向けてのカタルシス演出の他に、太一がどれほど周囲の人に愛されているのかがよく分かる描写だったと思います。おまけ4コマでも「うちの部の男子、部長を好き過ぎる」とかありましたね。時間がかかっても、太一の好きな周囲のかるたをする人々もまた、太一のことが大好きなのだと。頭で「自分が一人じゃないことぐらい分かってる」と理解するだけではなく、心で実感してくれれば嬉しいなと思います。7巻の梨理華ちゃんと対戦中の千早のセリフ「なんだっていい、かるただってなんだって。なにかを大好きになってほしい、自分を大好きになってほしい」は、ぜひ太一に向けて言ってあげてほしいなあ。言う人は千早でなくてもいいので。

小学生時代の千早のセリフ「ずっと一緒にかるたしよーね」は、新だけではなく太一にも言っているんだよ~!
勝手な理想ではありますが、太一が様々な葛藤を乗り越えて、いつかまた3人でかるたをするところが見たいです。


【結論(?)】
原田先生、太一をカラオケに誘うなら、ぜひアナ雪の「レリゴー♪」を選曲してあげてください。

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ちはやふる29巻153首感想(ヒョロ君)

26巻以降、本当に重苦しい流れが続いていましたが、ようやく一区切りつきましたね。今までもやっとしていたものが、今回やっと何となくですが分かったような気がしました。

以下に、ヒョロ君のセリフ「おまえはずっと・・・強くて孤独なやつのそばにいてやろうとしてたんだもんな」と、それを聞いて千早がヒョロ君に抱き着いたことについて、考えてみました。一部ネタバレを含みます。


●千早の気持ち

太一の告白以降、不自然なほど千早の回想に新も詩暢ちゃんも出てきませんでした。
深作先生に「私が岩だったんです」と吐露しているように、太一を傷つけ続けていたという罪の意識や、それまで目標に向かってひたすら前だけを見続けていた結果、ずっと傍にいたはずの太一の心や行動を理解してあげられなかった自分への嫌悪感、そして太一との別離の辛さといった感情から、大好きなかるたの札が黒く冷たく重いものとなってしまい、新と詩暢ちゃんを意識の奥底に押し込めていたのかと思います。
千早と太一はお互いが相手を想うベクトルが異なっていたのかもしれませんが、千早にとって太一は本当に本当に大事な存在であったということは疑う余地のないことなのでしょうね。

今回千早はヒョロ君に「おまえはずっと・・・強くて孤独なやつのそばにいてやろうとしてたんだもんな」と言ってもらって、自分のあり方を肯定してもらえたような、前に進んでもいいんだよと背中を押してもらえたような、そしてそのような言葉をくれるヒョロ君も確かに自分にとって大事な仲間だったんだという気持ちの表れが、あの抱き着きシーンだったのかなと思います。千早が正面から一対一で誰かに抱き着くというのは、これまで瑞沢メンバーに対してもなかった描写で、千早にとっては仲間に対する最上級の気持ちの表れではないでしょうか。(でも、ヒョロ君とお母さんはまぁ固まりますよね。お母さん、お家に帰ったら窘めてあげてください。。。)


●新の気持ち

23巻の新が告白に至るまでの回想で、小学生の頃の千早が「笑うためにメモ取っている人と話したくないなあ」「ずっと一緒にかるたしよーね」と言っているシーンを思い浮かべていましたが、新にとって千早は孤独な時に手を差し伸べてくれる女の子だった。千早のまっすぐな気持ちが確かに新に届いていたということが、今回のヒョロ君のセリフによって間接的に表現されているようで、素敵だなあと思いました。

それにしても、小学生編の完成度の高さには毎度驚かされます(いや、もちろん全巻素晴らしいんですが)。3人の幼いが故の葛藤や淡く切ない想いがギュッと凝縮された、本当に美しい物語だと思います。


●ヒョロ君の気持ち

私は、ヒョロ君が千早を呼び捨てで呼ぶのにずっと引っかっていたのです。
小学生編で千早、新、太一の3人がチームちはやふるとして大会に参加していた時点で、ヒョロ君は「綾瀬さん」と呼んでいたし、その後すぐに中学に進学して北央のかるた部に入ったのであれば、「千早」と呼び捨てにするほど親しくなる時間があまりないので。また、ヒョロ君のモノローグでも時々「千早」と「綾瀬」が混在していますし。

高校3年の地区予選のヒョロ君祭りを経て、改めて小学生編を読んでみてやっと思い至ったのですが、ヒョロ君はチームちはやふるに強く憧れ、自分もそのメンバーになりたかったのではないかと思いました。
(小学生編で太一や千早の代わりに自分が大会に参加しようとする描写があります。気づくの遅!)
自分も仲間として認めてほしい、視界に入りたいという気持ちが、ヒョロ君の「千早」という呼び方に表れていたのかなと思います。もしかしたら、千早が恐ろしさを緩和するためにクイーンを「詩暢ちゃん」と呼び始めたのと同じように、千早の才能に対して自分の苦しさを紛らわす意味合いもあったかもしれません。

そのような文脈で考えると、圧倒的な実力を持つ新、ずば抜けた才能を持つ千早と対比して、その両方を持たないとされている太一に対し、ヒョロ君がライバル意識と親近感を合わせ持つようになるのも理解できます。(いや、太一だって客観的に見て十分すごいんですが。高校に入ってから本格的にかるたをして1年半でA級に昇格、2年でA級上位に食い込んでいますし。)

ヒョロ君の立ち位置、性格的に自尊心が強いのに、実力がない、才能がない、後輩にも追い抜かれる、いつまで経ってもA級になれない、というのはものすごく辛いことですし、もっと卑屈になったり心が折れてかるたをやめてもしまってもおかしくない状況です。しかし、ヒョロ君は自分にできる方法を見つけて、北央チームの大黒柱として成長しました。

「自分より強いやつしかお前はみてねえんだ」は、千早のあり方をヒョロ君目線(および太一目線もかな?)で見たとき、「おまえはずっと・・・強くて孤独なやつのそばにいてやろうとしてたんだもんな」は、千早目線で見たときなんですね。チームちはやふるになりたくてもなれなかった、でもずっと傍から見ていたという絶妙な距離感のヒョロ君だからこそ言えたセリフなのかなと思います。また、千早目線の言葉をかけてあげられるほどに、ヒョロ君は自身のチーム作りを通じて存在意義を確立し、辛い気持ちを昇華できるところにまでたどり着いたというところなのかもしれません。

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