「ちはやふる」あれこれ

「ちはやふる」ほか、好きな漫画、アニメなど。

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ちはやふる31巻159首感想(カラオケ回想)

今回は、ばらばらとした雑感です。一部ネタバレを含みます。


●雑感

太一の中で、千早とのことはすでに一応の整理がついているのだろうなと感じていましたが(155首で詩暢ちゃんと対戦した時、千早が詩暢ちゃんのかるたを「音のしないかるた」と称していたのを普通に思い浮かべたりとか)、今回の肉まん君の回想により、地区予選後に男同士でやりとりがあったことが明かされました。
千早にフラれたことを、太一はその場で肉まん君と机君に伝えていたんですね。

太一はやっと「カッコ悪い自分」を許容できるようになった、そしてそれを他者に見せられるようになったんですね。とうとう一皮むけた感じがします。
立ち別れは、千早が大人になるための通過儀礼だったと個人的には思っていますが、太一にとっても成長の過程として必要なものだったのかもしれないなあと感じました。

あの無理キスは、とにかく千早に触れたかったのだろうと当時ぼんやりと思っていましたが、今回のことでようやく分かったような気がします。
きれいな言葉で言うと、自分の想いの証を残したかったとでもいうのでしょうか。(きれいでない言葉で言うと、強制マーキングですかね。)

これまで千早が新と何かある度に太一が複雑そうな表情を浮かべていましたが、普通の方法では「仲間」以外の位置づけで千早の心に入り込むことはできなかった。だから、千早を傷つけることでようやく自分を刻み付けたというところでしょうか。もう抑えられなかったんだろうな。まるでナイフで抉るかのような激情に切なさを感じます。千早を傷つけたことや同意のないキスを肯定するものではありませんが、心情としては何となく理解できるような気もします。
(でも、あれだけ何でも器用に立ち回れるくせに、好きな女の子に対してだけは不器用だったとか、どんだけ属性付ける気だか。このイケメンめ~www)

「最低で 戻れない」と自己を断罪しつつも、静かな意思を感じさせる表情。
「立ち別れ」の歌の意味を考えると、太一の再合流の前に「戻って来い(待っている)」と言う役割の人がいるのではないかと思うのですが、それは一体誰なのか。
千早に対する贖罪の意識が強い様子であればそれは千早なのだろうと推測できますが、このような、まるで清濁併せ呑むかのような太一の表情を見てしまうと、誰なのかますます分からなくなりました。

自分でやるだけやって納得したら戻ってくる、という展開もあり得そうですね。
太一、いい男になったなあと素直に思います。

*****

今回、肉まん君はモノローグで「綾瀬が好きだ 皆と過ごした時間が大好きだ」と語っています。
・・・遅いよ!あの暗黒時代、千早は一人でめっちゃお腹が空いていたんだよ!と、正直思いました。

瑞沢メンバーが太一のことが大好きで、太一について思いを馳せている様子は数多く描写されていますが、これまで千早に対してはあまりにも淡泊な印象を受けていました。
スランプであれ何であれ、最終的には自分で立ち直るしかないとは思いますし、皆、千早が必ず戻ってくると信じているのだろうとは思ってはいましたが、でももう少し、誰か心で寄り添うというか、遠くからでも千早を見守る姿勢を見せてあげて欲しいなあと思っていたので、今回瑞沢メンバーの仲間に対する思いとして補足されたのは本当に良かったです。少し救われたような気がしました。


・・・そこへ、目線を交わす千早と新。

えっと、なにこれ。
新さん、もわわーっと色気が醸し出されてますよ~(←嗅いでいい?

ていうか、この二人の第三者視点が入らない形での見つめ合いって、もしかして1巻1首の新聞配達以来ではないでしょうか!?
ああもう、新の登場人物紹介が3番目でも、私、気にしないw


やれやれ、これでやっと安心して年越しができるぜと思ってページをめくったら、瑞沢敗退ですと!?
は~、一体どーなってしまうんでしょうか。続きが待ち遠しいですね。

どうぞ良いお年を。

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ボソっと独り言

「千早が大人の階段のぼったら」記事中の独り言部分です。
作中の描写に対する批判とも取れる記述を含んでいますので、気にされる方は回避してください。


************************
<以下、独り言>

・・・でも正直言って、29巻の「勝ち急がない」とか「そばで戦い続ける」とかについては、違和感を感じました。

千早が自分のかるた以外を見始めた(この場合は、不器用な千早が相手に札を取られるリスクを負ってまで(?)、チームメイトの戦況を把握して気配りをする)という描写であろうことは理解はできるのですが、もし早く勝ったとしても孤立するかなぁ?
以前、原田先生が団体戦においては早く負けないことが重要と解説していましたが、逆に言えば、千早が早めに1勝してくれたら他のメンバーは楽になって嬉しいような。さらに、「団体戦は個人戦」で仲間を信じて勝負に集中する大切さを原田先生が説いていたような。

また、新の「ぼくは5歳相手でも手かげんせん男や(2巻)」のセリフ以来、どのような対戦相手に対しても手を抜かないことや、いつでも誠意を持って全力でかるたを取ることは、千早の良さであったはず。
千早が不慣れな調整役を頑張るようになったことは素晴らしいですが、まずは「目の前の相手との勝負ありき」で、実力差の範囲内で調整役をやって欲しかった。そして、千早のかるたに対する基本姿勢として、常にクイーンを目指すかるたが最優先であって欲しかった、というのが正直なところです。(観戦中の甘糟君が、千早が一点を狙うかるたを手放していないと感じている様子でしたが、そんな技術論ではないのですよ~。)

少なくとも、B級のヒョロ君に「おれのことナメてくれてんのかな」「ゆっくり目でも取れると思って甘く見てくれてんのかな」と思われる程度には、札を取られていたわけですしね。(その後、ヒョロ君は別のことを感じ取っている様子でしたが、それはさておき。)

北央の「誰かが負けたらターボをかけろ」ではないですけど、ここは(孤立だの何だのと話を盛らずに)シンプルに「1勝して波に乗れるように太一がチームを鼓舞していたことに、皆が気が付いた」という具合にでも理解しておいた方がいいような気がします。

肉まん君や机君も「真島がいないなら誰がやる おれだろ」って言っていますし、これからは皆でムードを作って声を掛け合って頑張ればいいじゃない。肉まん君だって「主将はおれだ いまこの部をいちばん強く支えるのは おれだ(28巻)」と頑張っていましたし、瑞沢かるた部は、千早や太一が作ったそれとは「もう違う」ものに生まれ変わっていたはず。

本来、早く勝つことと、チームメイトに声が届かない(28巻)ということは、全く別物だと思います。もし早く勝ったとしても、信頼関係に基づく適切な声掛けであり、かつ、聞き手が受け入れる態勢にあれば、チームメイトに響くでしょう。千早とヒョロ君(疑似太一?)の対比としては理解できますが、元々無関係な二つの特質に、さも因果関係が存在するかのような表現に見えるので(少なくとも表層的には)、少し無理が生じたのかもしれないなと思いました。

また、束勝ちするような強さと、苦しいときにどれだけ堪えたかるたができるか(29巻)は、対戦相手や戦況(チームとしての流れも含む)によっても変わっていくはずのものなので、こちらも両立可能ではないでしょうか。

(というか、折角の強欲キャラなんだから、今後は両立してほしいなぁ。最近、少しずつ軌道修正されてきているようにも見受けられますし。
そもそも近い将来クイーンになるという子が、格下相手に束勝ちするぐらい強くて何がいけないのさっ!?と思います。その点、新は(不器用キャラにされてしまいましたが)「早めに勝って応援する」と非常に潔いですねw)

・・・というわけで、この辺りの千早の葛藤と成長についての一連の描写に対する個人的モヤモヤ感を払しょくすべく、下記のように脳内補完してみました。
(金井桜さんやユーミンとの対戦で、千早が今まで知らなかった種類の強さと出会った時のイメージで。多分、見ている角度が異なるだけで、骨子としては同じかもです。)

チームを鼓舞できる人がいなくなった → 1勝しても波に乗れない → 団体戦で勝つには、自分が早く勝つだけではいけないんだ → チームの流れを作るため、皆の様子を把握して声掛けしよう → (皆が調子を取り戻す) → 団体戦を戦う上での、個人のかるたの強さとは別の種類の強さがあるんだ! → (ヒョロ君、すごいね!)

<独り言、おしまい>
************************


【結論(?)】
盛り過ぎ注意。


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千早が大人の階段のぼったら

ウルトラスーパー書くのが難しかった、主人公の千早についてのあれこれ。
新との出会い、および太一との立ち別れを経ての千早の成長について、おさらいを兼ねて原点回帰をしつつ考えてみました。新エンドを前提としています。

千早がいずれ体現していくであろう「千早振る」については、現時点までの作中で与えられている情報から考察するのが難しかったので、全く触れていません。
また、リンク先(独り言部分)に作中の描写に対する批判とも取れる記述を含んでいますので、気にされる方はご注意ください。

なお、タイトルは「想い出がいっぱい」というH2Oの曲からです。
かの有名な(?)「大人の階段のぼる」というフレーズの元ネタになった曲ですが、ご存じない方がいらっしゃいましたらすみません。


●君がくれた情熱

千早の性格的な特徴といえば、素直、まっすぐ、漢前、強欲といったことがあげられるでしょうか。

特にあの素直さは、クイーンを目指して強くなる上で、非常に強力な武器の一つだと思います。机君やかなちゃんといった自分より圧倒的にかるたが弱い人に対しても自分にはない良さを認めて、そこから素直に学ぼうとするところや、桜沢先生の「姿勢を保ちなさい」というアドバイスを即座に実行できるところなどは、本当に貴重な資質ではないでしょうか。私もこのようにありたいと頭では思いますが、実際になかなかできるものではないです。

素直さについては新に対しても同様の描写がされていますが、桜沢先生のセリフの通り「変われることは財産」ですね。二人とも自分にはないものを貪欲に吸収して、これからも成長を続けていくのでしょう。


小学校時代の千早は、お姉ちゃんの夢=自分の夢で、何かに対する情熱や執着もなく、ただただ素直でまっすぐな子、そして、家族の中ではいい子過ぎる子だったと思います。年の近い同性の兄弟姉妹というのは、一般的には最も近しい遊び友達でもありライバルでもあることが多いように思いますが、千早にとって1歳年上のお姉ちゃんは絶対的に仰ぎ見る存在でした。千早の両親はモデルの姉にかかりきりで、親に対して我が儘を言える状況ではありませんでしたが、千早はそれに反発したり卑屈になったりせず、お姉ちゃんの一番のファンとして応援を続けました。

親も完璧ではないので、場合によっては上の子にかかりきりで下の子がおざなりになるというのは、世間一般的にはよくあることです(その逆もまた然り)。
しかし、いくら千歳の夢への扉が今にも開かんとするタイミングだったとはいえ、生まれて初めてもらった賞状を家族に全く評価してもらえなかったことは、幼い千早にとっては本当に悲しく寂しい出来事だったでしょう。

ただ、良くも悪くもイノセントな千早は、姉が常に優遇されたり自分がないがしろにされる状況にあっても、それを受け入れることに疑問や憤りを感じることはあまりなかったのではないでしょうか。

想像するだけでも胸が痛むような状況ですが、何よりも小児の自我の発達という観点からは、はっきり言ってかなり不健全な状態です。(登場初期の田丸さんのウザ自己アピールの方がよっぽど健全かと。)
そんな千早が新に出会ってその情熱とかるたを知ったのは、まさに運命の巡り合わせとしか言いようがなくて、出会えて本当に良かったねと思います。

(もちろん新にとっても奇跡の邂逅。「一緒にかるたしよっさ」を「一緒に生きていこっさ」に脳内変換できる女の子は、いくら漫画の世界といえども他に存在しないでしょう。)

千早は小6で新に出会って、彼の情熱と自分自身の内なる情熱を知った。そして新が自分の中に眠る才能や可能性に気づかせてくれた。
「自分になりたい」という太一の専売特許のようなセリフがありましたが、お姉ちゃんに乗っかってそのような意志すら持ちえなかったであろう当時の千早にとって、新との出会いは相当な衝撃だったことでしょう。

千早は、新と出会って初めて「自分」になることができたし、かるたやその周辺の物事に対する執着が生まれて、幸運にも「強欲」になることができたのではないかなと思います。


●仲間がいるのは楽しいよ

新と出会ってからの千早は、ただひたすら真っすぐに新に向かって走ってきた。
そして、あの情熱をガチで受けて立つべく頑張ってきた。

千早が本来、仲間がいた方がかるたが楽しい、かるたを他の人にも好きになってもらいたいというタイプであることは、何度となく描写されています。それでも、中学校時代や高校に入ってすぐの頃にかるた仲間の全くいない状況下での孤独に耐えられたのは、新とまた会いたかったから、そして新なら一人でも強くなっているはずと信じていたからであることが、福井での新との再会時(2巻)の描写で分かります。

新にかるたを蹴られた時、自分がそれだけの孤独に耐えて頑張ってきたのに、カッとなったりせずに即座にかるたができなくなった新の心情を慮ることできるのは、千早の大変すごいところですね。もっと新に裏切られたと感じたり、怒りを感じたり、失望したりしてもおかしくはなかったのに。それだけ新を強く信じていたのか、千早の性質がそうさせるのか、またはその両方だったのでしょうか。

その後、新は必ず戻ってくると信じ、太一と共にかるた部を作って仲間を増やす過程で、「新とまたかるたがしたい かるたは楽しいよって 仲間がいるのは楽しいよって 伝えたい」、「「ちはやふる」は 真っ赤な恋の歌なんだ」とのモノローグに続きます。
(夕日をバックに「ちはや」の札に静かに手をかけて、キメ顔で佇む新の姿が美しい。この、そっと札に触れている感じが良い。ついでに真っ赤繋がりで言うと、4巻で千早が初めて近江神宮を見たときに、千早の脳内イメージで「真っ赤やよ」と答える高校生になった新の穏やかな微笑みがすごく良い!)

「かるたは楽しいよ」と「仲間がいるのは楽しいよ」は、すでに十分なほど新に伝わっていると思うので、あとは「「ちはやふる」は 真っ赤な恋の歌なんだ」の部分に期待ですね。竜田川を彩る真っ赤な紅葉ちゃんは、千速振るわたの原にどのようにして辿り着くのでしょうか。大変楽しみです。


一方、千早の「仲間がいるのは楽しいよ」が高1の早い段階で実現したのは、太一の功績です。

将来のクイーン候補の千早は、瑞沢高校かるた部内では仲間ではあってもカリスマ性を持った異質な存在で、千早にとっての仲間とは「みんなでワイワイ何かやるのが楽しいんや(by 詩暢ちゃん)」というより、「仲間がいたら強くなれるから 一緒に強くなろう」(2巻)という位置づけだと思います。
千早のかるたに対する強い想いは、第三者から見ると言葉は悪いですが「ちょっとイッちゃってる」感があり、初心者やかるたに人生を懸けているわけではない普通の人間がついていくのは正直シンド過ぎるでしょう。

そうしたテンションも目的も違い過ぎるかるたバカと、かるた脳ではない一般人(かなちゃんとかを一般人と称してよいものやら悩ましいところですが)との懸け橋の役割を、太一が果たしてきたとでもいうのでしょうか。
そのおかげで、千早は良くも悪くもイノセントなままでいられて(まぁ、太一個人に対してもでしたが)、「仲間がいるのは楽しいよ」と無邪気に言うことができたのだと思います。

一番象徴的な出来事が高1の真島邸での合宿(3巻)で、千早は新規加入したばかりの机君やかなちゃんに限界以上の練習を求めて、太一に止められています。「そういえばよく言われてた 「千早ちゃんはかるたのことしか見えていない」って みんなかるた続けてくれなかった・・・ だめだなあ 私 だめだなあ・・・」とモノローグで語っています。

もし太一がいなかったなら、この段階で退部者続出で、かるた部は崩壊していたかもしれません。千早の剛腕でかるた部に人を入部させることができたとしても、その後の継続については太一の力によるところが大きかったのではないかと思います。

(このような文脈で考えると、太一が部員にやたらと慕われているのも何となく分かる気がしますね。また、かるた部発足時に千早を部長から外した宮内先生もグッジョブです。)


●大人への階段

その後、瑞沢かるた部は部員同士で密度の濃い時間を共有し、全国優勝も経験し、「ここにいればいいなあと思う人はもう家族」というほどの強い絆で結ばれた関係になりましたが、太一の退部後の高3の地区予選にて、太一が調整役を果たしてきたことや、千早の強さを孤立させないようにしていた(28巻)という構図が浮き彫りになりました。

一方で、将来は高校の先生になってかるた部の顧問になりたい千早にとっては、かるたのことしか見えておらず、かえって他の人にかるたを続けてもらうことができない、というのは致命的な欠点です。

太一との別離は、ある意味、太一の庇護状態にあったところからの離脱を余儀なくされるわけで、いつまでもイノセントなままではいられないということを意味します。
高3の地区予選および全国大会で、千早は太一の抜けた穴を埋めようと頑張っていますが、それは文字通り太一が果たしてきた役割を担うという以外にも、自分のかるたしか見えていない状態から脱するための、千早が大人になるための通過儀礼なのかもしれないなと思いました。(驚愕の尺取り虫だったけどね! ・・・と明るく言ってみるw)

<ボソっと独り言。気にされる方は回避してください。こちらも長いので後回しがおススメw>

さて、何だかんだと書きましたが、千早が様々な経験を経て、自分のかるた以外の方面でも著しい成長を遂げているのは間違いなさそうです。
不器用ながらも、千早自身の努力で「仲間がいるのは楽しいよ」が実現できた結果なのでしょう。視野が広くなったというか、かるた部の顧問になるという、千早のもう一つの夢への可能性が広がったような印象を受けます。今の千早の目には、以前とは違って色々なものが見えるようになっているのだろうなあと思います。

現在の千早は「想い出がいっぱい」で言うところの、「踊り場で足を止めて 時計の音 気にしている」(シンデレラの魔法が解ける(=大人になる)少し手前)状態ですね。そんな風に考えると、例え苦しくても大人への階段を一歩一歩、一生懸命のぼっていく千早シンデレラが何だか愛しいなあ。

階段をのぼれば、見える風景は少しずつ変わっていく。だから、もしかしたら第三者の視点から見ると、初期の頃の無邪気さゆえの熱さや真っすぐさが、変質してしまったかのように感じられるかもしれない。でも、形は違えど千早はやはり熱くて真っすぐです。例え以前の胸のすくような勢いが失われたとしても、それは成長ゆえのこと。それはそれでいいんだと、最近になって思うようになりました。

これからも夢に向かって自分の足で歩いていくんだよ、そして、すべて掴んで来い!と応援したいです。


【結論(?)】
宮内先生はいい先生ですね。

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ちはやふる30巻158首プチ感想

今回はプチ感想。一部ネタバレを含みます。


●雑感

瑞沢も富士崎も両方とも頑張れ!と言いたくなるような展開でしたね。
それにしても、青島さん。「先生のDNAを富士崎にも残すには」って、JKにしてどっかのビジネス誌みたいなことを言う子だなw
その意気やよしです。

今回は、筑波君の成長に持っていかれた感があります。
ペコちゃん顔以外であんなに目を開いているのを見るの、初めてかもしれない。
菫ちゃんも恋愛至上主義だのと言いつつも、きちんとチームメイトの成長を見ていて素敵です。

千早は、来年以降の目標を口にするたびに筑波君が感じるプレッシャーについて全く考えていない様子でしたが、結果オーライなのでまあご愛嬌ということで。
それでも、様々な経験を経て成長しつつある千早の目には、以前とは違って自分のかるた以外にも色々なものが見えるようになっているんだろうなーと思いました。
また、筑波君と田丸さんの「本物になりたい」は、太一の「自分になりたい」と相通ずるところのあるフレーズなのかもしれませんね。


全国大会では、新の純粋さが特に強調されているような印象を受けます。
東西の挑戦者決定戦以降、新はどのような種類の愛情に出会ったのでしょうかね。
また、じいちゃんのではない、新自身のかるたはどのように進化したのでしょうか。

(22巻の始さん降臨時の新の表情に悶絶した身としては、お顔はぜひそのままでお願いしたいところです。ああ、でも進化バージョン(顔)も見たいww)

最近のお話は全体的に心情面での描写が多いですが、またあの息もつかせぬような、かるたの攻防も見てみたいです。

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「ちはやふる」英語版について

英語版「ちはやふる」。
ずっと気にはなっていたけれども、自分の読後の感じ方への影響が大きくなりそうだったので、長らく読むのを我慢していました。最近になって本誌の状況が物語の収束に向かって様々な材料が出揃ってきた感があるので、そろそろ(自分ルール的に)解禁してもいいかなと思い、少しずつ読み進めています。

私が把握している範囲では「ちはやふる」の英語版は、単行本(公式)1巻&2巻、アニメ1&2、本誌(非公式)の3種類がありますが、日本語の原作ですら解釈が難しくて論争喧しい「ちはやふる」がどのように訳されているのか、仕事柄、大変興味がありました(私は情緒のカケラもない産業系ですので全く分野は異なりますが)。
以前ネットでアニメ版の英語字幕の評判が良かったという話を目にしましたので、こちらもいつか見てみたいです(一体いつになるのやら~)。


●「ちはやふる」の翻訳は難しい

私は漫画やアニメの翻訳の現場についてよく分からないのですが、それでも断言します。

「ちはやふる」の翻訳はエベレスト級に難しい。

私はこの困難に立ち向かう人々のことを想像するだけで、「プロジェクトX」のテーマ曲が脳内再生され、思わずハンカチを握りしめてしまいます。世の中には「そこに山があるから登ってみた(・ω<) テヘペロ」みたいな人もいるかと思いますが、もし「お前がやれ」と言われたら、私なら全力で走って逃げます。(←オイ)
まずは、この難事業に挑んでおられるすべての方々に、心からの敬意を表します。

では、「ちはやふる」の翻訳はなぜ難しいか。

①日本人にすら馴染みの薄い競技かるたが題材
→ ルールを分かりやすく噛み砕きながら、冗長にならずに表現するのが難しい。

②意味としての百人一首
→ 短歌としての情緒を詩的に表現するのが難しい。特にストーリーに絡める場合、説明的になりがち。

③青春スポ根ものの独特なテンション
→ 感情の高まりを表そうとすると強い口語表現(特に若者言葉)になりがちで、特に②との両立が難しい。

④話者が分かりにくい
→ 吹き出しの尻尾が少ない。モノローグも話者が混同されがち。日本語ならまだ福井弁=新、敬語=年長者に対するものと分かるが、英語になると一層分かりにくい。

⑤現在連載中の作品
→ 過去の伏線との整合性を図るのが難しい。洞察力とともに、リスクヘッジと感情表現のバランスが必要。

・・・などといった諸々の難関を、厳しい字数制限がある中でクリアせねばなりません。いかに多方面に造詣の深い優秀な翻訳者であっても、これらを一個人がすべて満たすのは至難の業ですので、コストとの兼ね合いを考えながらプロジェクト全体として品質を担保する仕組み作りが重要となります。さらに、作業者個人にとっても、調べ物の方向性が多岐に渡るので、実際の翻訳作業以外の時間も相当取られるはずです。

な~んて、さも知ったかのように語っていますが、前述の通り私は当該分野については全く未経験ですので、上記はすべて想像です。ただ、「ちはやふる」が他の言語に翻訳するには相当に厄介な作品であろうことは間違いないのではないかと思います。


●ちはやふるバイリンガル版1巻&2巻(公式。コミックス1巻~3巻)

私は漫画の英訳本を読むのは今回が初めてなのですが、今までに何度となく原作コミックスを読んでいるので、すでに展開もセリフも覚えてしまっていて、ぶっちゃけた話、今さら1巻とかを英語で読んでも特に目新しいものはないかと思っていました。
ところがどっこい、このバイリンガル版は、まるで「ちはやふる」を初めて読んだ時のような、とても新鮮な気持ちで読むことができました。

それでいて、するするっと違和感なく話に入っていけて、登場人物のセリフにも躍動感があって、以前自分が「ちはやふる」にハマった頃の感覚を思い出しました。
読んでいて本当に楽しかったです。あのドキドキ感をもう一度味わうことができるなんて、感謝感激です!!!

私にとっては買って良かったと思えるバイリンガル版ですが、一応問題点も指摘しておきます。

本書はバイリンガル版なので、日本語と英語が併記されています。
コマの中に効果音や言葉が含まれる絵(札や看板など)などがある場合、そうした言葉の英訳が本来のコマに入らずにコマの外につくことになりますが、その位置にも配慮があれば、なお良かったと思います。
(翻訳の問題ではなく、DTPとかその後のチェック機能の問題ですね。)

一番気になったのが、1巻の小学生時代の教室で千早と新が背中合わせにぶつかって、お互いを見るシーン。二人の目線が交差する先に、何と上のコマ(千早が太一に回し蹴りをするシーン)の 'ZONK'(ゴウ)という効果音が書かれているのです。

このシーンは、「ちはやふる」における4大ボーイ・ミーツ・ガールどきどき見つめあいシーンの一つです。
(管理人ねこむぎこの独断と偏見による。①新聞配達時、②教室でぶつかった時、③雪の中の「新、新や」、④高校生になってからの再会時「会いたかった!」。)

それなのに、見つめ合う二人の真ん中に 'ZONK'(ゴウ)ってあんまりではありませんか(涙)。しかも、名詞であまりよろしくない意味の単語のようですし・・・。

ついでにもう一つ。バイリンガル版2巻で須藤さんと対戦中の千早が「あれは私の特別な札だから どこにあっても手が伸びるよ 磁石みたいに」と新の姿を思い浮かべる、かの名シーン。新の頭のすぐ上に 'WHACK' (バッ)という隣のコマの効果音が書かれているのも、一ファンとしては悲しいです。'WHACK' の方が '...like a magnet.'(磁石みたいに)よりもずっと大きい字で書かれているので、よっぽど目につきます。

明確な誤植とかではないので修正は難しいのかもしれませんが、このような重要なシーンについてはレイアウトに特に配慮していただければと、切に希望します。
(何をもって「重要」とするかは定量的に判断できないので、また別の難しさがあるでしょうが。)

まあ色々書きましたが、全体としては大変良かったですし、満足度も高かったです。
次巻の発売予定は何時ごろなのでしょうか?待ち遠しいです。


●本誌英語版(非公式だけどいいかな?)

本誌英語版はボリュームが沢山あるのでさすがにすぐに全部は読めませんが、取り急ぎいくつか掻い摘んで読んでみました。

こちらは訳した人の解釈に依存する表現が多く、また、本誌が発行された時点での読者の立場(=先が読めない状態)で訳されているので、作品全体として見るには客観性、整合性の面で留意が必要だなと思いました。
(29巻まで刊行された状態で過去のエピソードに遡って読むのは、いわゆる「神」目線となってしまいますので仕方ないですよね。)

直近で私が一番興味深かったのは、154首です。
全国大会で新と再会した千早が太一のことを聞かれ、「でも 気配は感じるの」と答えたセリフがありました。
本誌英語版では、ここは "I sense his presence." と訳されています。

presence には「目に見えないもの」の意も含まれますが、語感として「存在感」のイメージが強いので、翻訳者さんにとっては勇気ある訳語の選択だったと思います。
もし私だったら、"I can feel him." ぐらいにしておくと思います。
(だって自分の解釈が正しいかどうかはその時点では分かりませんし、予想のナナメ上を行ったり、回収までにやたら時間がかかる伏線もあったりして、めっちゃ怖いんですもの。末次作品。)

その後、選手宣誓をすることになった千早が動揺しつつも、「でも 気配は感じるの」との自分の言葉を思い出して大役を果たすシーンに続きますが、これを "I sense his presence." と訳したことにより、千早の決意が一層鮮明になったように感じられて、この場面がピリッと締まったように思います。
ということで、presence は訳語として良い選択だったのでしょう。

一方、当ブログの記事「ちはやふる30巻154首感想+156首プチ感想」で、私は下記のように書いています。

*********************
さて、千早が新に語った「気配」については、解釈が難しいですねぇ。
太一と一緒に過ごした日々は心の中で生きている、とかでしょうか。
それともスタンド?
千早が「気配」という形容しがたい言葉を敢えて選択した理由がよく分からないので、今の段階ではかなり曖昧な印象を受けました。
*********************

日本語と英語では単語の意味する範囲が異なるので、「気配」という言葉の持つ形容しがたい曖昧さを presence という単語を用いることによって、ある意味、犠牲にすることになります。(意味上1対1とならないので。例えるならば、「気配」と presence をベン図で描いて、重ならない部分を切り捨てざるを得ないというイメージでしょうか。)

これは言語の性質上仕方のないことですが、もし私が英語版を本誌より先に読んでいたら、きっとこの上記の感想は出てこなかったことでしょう。

(ついでながら、太一の気配を感じる千早を見て、私が思わず「志村、後ろ後ろ!」とお約束のように反応してしまったことは内緒ですが(シリアスなシーンにホントすみません)、もし presence であれば、これも出てこなかったのではないかなぁと思います。)

結局、何を大事にしたいのかは人それぞれ、といったところでしょうか。


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ちはやふる30巻157首プチ感想

今回はプチ感想。一部ネタバレを含みます。


●雑感

何ですか、この純度100%みたいな新君のかるた愛&仲間愛は!?
きっと、団体戦の難しさ、ままならなさも含めて、すべて楽しいんですね、彼は。
久しぶりに新の強さの源泉を見た思いです。
さすが、「愛情 愛情 愛情・・・」の男。

それにしても、一体何なんでしょう。
この157首全体から漂ってくるイヤなイヤーな感じはw
連盟の皆さんの藤岡東についての評価といい、新の様子といい・・・。

「団体戦やるって決めてよかった」なんて結構な決め台詞のような気がしますが、それを言う相手はヒョロ君でいいんでしょうか。
(ヒョロ君ファンの方、ごめんなさい! m_ _m)
あと、須藤さんだったら「惚れられたかな」と思いそうな反則顔を見せていますが、それを見せる相手は本当にヒョロ君でいいんでしょうか。
(重ねてヒョロ君ファンの方、ごめんなさい! m_ _m)

う~ん、私にとって、いついかなる時も絶対正義であり続けた赤面新が、まるで藤岡東の負けフラグのような・・・?
うゎ、我ながらヤなこと言った!きっと私の気のせいですよね!そうに違いない!

でも、ヒョロ君。「勝つために なんでもする」ですか。
いーですねぇ。俄然面白くなってきました。
ヒョロ君個人が新に勝つチャンスなんぞ通常ならまずあり得ませんが、チームとしてなら勝機は十分です。これも団体戦ならでは、ですね。

以下、次号を待て!と言わんばかりの引きでしたので、おとなしく次号を待ちます!

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