「ちはやふる」あれこれ

「ちはやふる」ほか、好きな漫画、アニメなど。

11月« 2015年12月 /  12345678910111213141516171819202122232425262728293031»01月

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ボソっと独り言

「千早が大人の階段のぼったら」記事中の独り言部分です。
作中の描写に対する批判とも取れる記述を含んでいますので、気にされる方は回避してください。


************************
<以下、独り言>

・・・でも正直言って、29巻の「勝ち急がない」とか「そばで戦い続ける」とかについては、違和感を感じました。

千早が自分のかるた以外を見始めた(この場合は、不器用な千早が相手に札を取られるリスクを負ってまで(?)、チームメイトの戦況を把握して気配りをする)という描写であろうことは理解はできるのですが、もし早く勝ったとしても孤立するかなぁ?
以前、原田先生が団体戦においては早く負けないことが重要と解説していましたが、逆に言えば、千早が早めに1勝してくれたら他のメンバーは楽になって嬉しいような。さらに、「団体戦は個人戦」で仲間を信じて勝負に集中する大切さを原田先生が説いていたような。

また、新の「ぼくは5歳相手でも手かげんせん男や(2巻)」のセリフ以来、どのような対戦相手に対しても手を抜かないことや、いつでも誠意を持って全力でかるたを取ることは、千早の良さであったはず。
千早が不慣れな調整役を頑張るようになったことは素晴らしいですが、まずは「目の前の相手との勝負ありき」で、実力差の範囲内で調整役をやって欲しかった。そして、千早のかるたに対する基本姿勢として、常にクイーンを目指すかるたが最優先であって欲しかった、というのが正直なところです。(観戦中の甘糟君が、千早が一点を狙うかるたを手放していないと感じている様子でしたが、そんな技術論ではないのですよ~。)

少なくとも、B級のヒョロ君に「おれのことナメてくれてんのかな」「ゆっくり目でも取れると思って甘く見てくれてんのかな」と思われる程度には、札を取られていたわけですしね。(その後、ヒョロ君は別のことを感じ取っている様子でしたが、それはさておき。)

北央の「誰かが負けたらターボをかけろ」ではないですけど、ここは(孤立だの何だのと話を盛らずに)シンプルに「1勝して波に乗れるように太一がチームを鼓舞していたことに、皆が気が付いた」という具合にでも理解しておいた方がいいような気がします。

肉まん君や机君も「真島がいないなら誰がやる おれだろ」って言っていますし、これからは皆でムードを作って声を掛け合って頑張ればいいじゃない。肉まん君だって「主将はおれだ いまこの部をいちばん強く支えるのは おれだ(28巻)」と頑張っていましたし、瑞沢かるた部は、千早や太一が作ったそれとは「もう違う」ものに生まれ変わっていたはず。

本来、早く勝つことと、チームメイトに声が届かない(28巻)ということは、全く別物だと思います。もし早く勝ったとしても、信頼関係に基づく適切な声掛けであり、かつ、聞き手が受け入れる態勢にあれば、チームメイトに響くでしょう。千早とヒョロ君(疑似太一?)の対比としては理解できますが、元々無関係な二つの特質に、さも因果関係が存在するかのような表現に見えるので(少なくとも表層的には)、少し無理が生じたのかもしれないなと思いました。

また、束勝ちするような強さと、苦しいときにどれだけ堪えたかるたができるか(29巻)は、対戦相手や戦況(チームとしての流れも含む)によっても変わっていくはずのものなので、こちらも両立可能ではないでしょうか。

(というか、折角の強欲キャラなんだから、今後は両立してほしいなぁ。最近、少しずつ軌道修正されてきているようにも見受けられますし。
そもそも近い将来クイーンになるという子が、格下相手に束勝ちするぐらい強くて何がいけないのさっ!?と思います。その点、新は(不器用キャラにされてしまいましたが)「早めに勝って応援する」と非常に潔いですねw)

・・・というわけで、この辺りの千早の葛藤と成長についての一連の描写に対する個人的モヤモヤ感を払しょくすべく、下記のように脳内補完してみました。
(金井桜さんやユーミンとの対戦で、千早が今まで知らなかった種類の強さと出会った時のイメージで。多分、見ている角度が異なるだけで、骨子としては同じかもです。)

チームを鼓舞できる人がいなくなった → 1勝しても波に乗れない → 団体戦で勝つには、自分が早く勝つだけではいけないんだ → チームの流れを作るため、皆の様子を把握して声掛けしよう → (皆が調子を取り戻す) → 団体戦を戦う上での、個人のかるたの強さとは別の種類の強さがあるんだ! → (ヒョロ君、すごいね!)

<独り言、おしまい>
************************


【結論(?)】
盛り過ぎ注意。


関連記事
スポンサーサイト

千早が大人の階段のぼったら

ウルトラスーパー書くのが難しかった、主人公の千早についてのあれこれ。
新との出会い、および太一との立ち別れを経ての千早の成長について、おさらいを兼ねて原点回帰をしつつ考えてみました。新エンドを前提としています。

千早がいずれ体現していくであろう「千早振る」については、現時点までの作中で与えられている情報から考察するのが難しかったので、全く触れていません。
また、リンク先(独り言部分)に作中の描写に対する批判とも取れる記述を含んでいますので、気にされる方はご注意ください。

なお、タイトルは「想い出がいっぱい」というH2Oの曲からです。
かの有名な(?)「大人の階段のぼる」というフレーズの元ネタになった曲ですが、ご存じない方がいらっしゃいましたらすみません。


●君がくれた情熱

千早の性格的な特徴といえば、素直、まっすぐ、漢前、強欲といったことがあげられるでしょうか。

特にあの素直さは、クイーンを目指して強くなる上で、非常に強力な武器の一つだと思います。机君やかなちゃんといった自分より圧倒的にかるたが弱い人に対しても自分にはない良さを認めて、そこから素直に学ぼうとするところや、桜沢先生の「姿勢を保ちなさい」というアドバイスを即座に実行できるところなどは、本当に貴重な資質ではないでしょうか。私もこのようにありたいと頭では思いますが、実際になかなかできるものではないです。

素直さについては新に対しても同様の描写がされていますが、桜沢先生のセリフの通り「変われることは財産」ですね。二人とも自分にはないものを貪欲に吸収して、これからも成長を続けていくのでしょう。


小学校時代の千早は、お姉ちゃんの夢=自分の夢で、何かに対する情熱や執着もなく、ただただ素直でまっすぐな子、そして、家族の中ではいい子過ぎる子だったと思います。年の近い同性の兄弟姉妹というのは、一般的には最も近しい遊び友達でもありライバルでもあることが多いように思いますが、千早にとって1歳年上のお姉ちゃんは絶対的に仰ぎ見る存在でした。千早の両親はモデルの姉にかかりきりで、親に対して我が儘を言える状況ではありませんでしたが、千早はそれに反発したり卑屈になったりせず、お姉ちゃんの一番のファンとして応援を続けました。

親も完璧ではないので、場合によっては上の子にかかりきりで下の子がおざなりになるというのは、世間一般的にはよくあることです(その逆もまた然り)。
しかし、いくら千歳の夢への扉が今にも開かんとするタイミングだったとはいえ、生まれて初めてもらった賞状を家族に全く評価してもらえなかったことは、幼い千早にとっては本当に悲しく寂しい出来事だったでしょう。

ただ、良くも悪くもイノセントな千早は、姉が常に優遇されたり自分がないがしろにされる状況にあっても、それを受け入れることに疑問や憤りを感じることはあまりなかったのではないでしょうか。

想像するだけでも胸が痛むような状況ですが、何よりも小児の自我の発達という観点からは、はっきり言ってかなり不健全な状態です。(登場初期の田丸さんのウザ自己アピールの方がよっぽど健全かと。)
そんな千早が新に出会ってその情熱とかるたを知ったのは、まさに運命の巡り合わせとしか言いようがなくて、出会えて本当に良かったねと思います。

(もちろん新にとっても奇跡の邂逅。「一緒にかるたしよっさ」を「一緒に生きていこっさ」に脳内変換できる女の子は、いくら漫画の世界といえども他に存在しないでしょう。)

千早は小6で新に出会って、彼の情熱と自分自身の内なる情熱を知った。そして新が自分の中に眠る才能や可能性に気づかせてくれた。
「自分になりたい」という太一の専売特許のようなセリフがありましたが、お姉ちゃんに乗っかってそのような意志すら持ちえなかったであろう当時の千早にとって、新との出会いは相当な衝撃だったことでしょう。

千早は、新と出会って初めて「自分」になることができたし、かるたやその周辺の物事に対する執着が生まれて、幸運にも「強欲」になることができたのではないかなと思います。


●仲間がいるのは楽しいよ

新と出会ってからの千早は、ただひたすら真っすぐに新に向かって走ってきた。
そして、あの情熱をガチで受けて立つべく頑張ってきた。

千早が本来、仲間がいた方がかるたが楽しい、かるたを他の人にも好きになってもらいたいというタイプであることは、何度となく描写されています。それでも、中学校時代や高校に入ってすぐの頃にかるた仲間の全くいない状況下での孤独に耐えられたのは、新とまた会いたかったから、そして新なら一人でも強くなっているはずと信じていたからであることが、福井での新との再会時(2巻)の描写で分かります。

新にかるたを蹴られた時、自分がそれだけの孤独に耐えて頑張ってきたのに、カッとなったりせずに即座にかるたができなくなった新の心情を慮ることできるのは、千早の大変すごいところですね。もっと新に裏切られたと感じたり、怒りを感じたり、失望したりしてもおかしくはなかったのに。それだけ新を強く信じていたのか、千早の性質がそうさせるのか、またはその両方だったのでしょうか。

その後、新は必ず戻ってくると信じ、太一と共にかるた部を作って仲間を増やす過程で、「新とまたかるたがしたい かるたは楽しいよって 仲間がいるのは楽しいよって 伝えたい」、「「ちはやふる」は 真っ赤な恋の歌なんだ」とのモノローグに続きます。
(夕日をバックに「ちはや」の札に静かに手をかけて、キメ顔で佇む新の姿が美しい。この、そっと札に触れている感じが良い。ついでに真っ赤繋がりで言うと、4巻で千早が初めて近江神宮を見たときに、千早の脳内イメージで「真っ赤やよ」と答える高校生になった新の穏やかな微笑みがすごく良い!)

「かるたは楽しいよ」と「仲間がいるのは楽しいよ」は、すでに十分なほど新に伝わっていると思うので、あとは「「ちはやふる」は 真っ赤な恋の歌なんだ」の部分に期待ですね。竜田川を彩る真っ赤な紅葉ちゃんは、千速振るわたの原にどのようにして辿り着くのでしょうか。大変楽しみです。


一方、千早の「仲間がいるのは楽しいよ」が高1の早い段階で実現したのは、太一の功績です。

将来のクイーン候補の千早は、瑞沢高校かるた部内では仲間ではあってもカリスマ性を持った異質な存在で、千早にとっての仲間とは「みんなでワイワイ何かやるのが楽しいんや(by 詩暢ちゃん)」というより、「仲間がいたら強くなれるから 一緒に強くなろう」(2巻)という位置づけだと思います。
千早のかるたに対する強い想いは、第三者から見ると言葉は悪いですが「ちょっとイッちゃってる」感があり、初心者やかるたに人生を懸けているわけではない普通の人間がついていくのは正直シンド過ぎるでしょう。

そうしたテンションも目的も違い過ぎるかるたバカと、かるた脳ではない一般人(かなちゃんとかを一般人と称してよいものやら悩ましいところですが)との懸け橋の役割を、太一が果たしてきたとでもいうのでしょうか。
そのおかげで、千早は良くも悪くもイノセントなままでいられて(まぁ、太一個人に対してもでしたが)、「仲間がいるのは楽しいよ」と無邪気に言うことができたのだと思います。

一番象徴的な出来事が高1の真島邸での合宿(3巻)で、千早は新規加入したばかりの机君やかなちゃんに限界以上の練習を求めて、太一に止められています。「そういえばよく言われてた 「千早ちゃんはかるたのことしか見えていない」って みんなかるた続けてくれなかった・・・ だめだなあ 私 だめだなあ・・・」とモノローグで語っています。

もし太一がいなかったなら、この段階で退部者続出で、かるた部は崩壊していたかもしれません。千早の剛腕でかるた部に人を入部させることができたとしても、その後の継続については太一の力によるところが大きかったのではないかと思います。

(このような文脈で考えると、太一が部員にやたらと慕われているのも何となく分かる気がしますね。また、かるた部発足時に千早を部長から外した宮内先生もグッジョブです。)


●大人への階段

その後、瑞沢かるた部は部員同士で密度の濃い時間を共有し、全国優勝も経験し、「ここにいればいいなあと思う人はもう家族」というほどの強い絆で結ばれた関係になりましたが、太一の退部後の高3の地区予選にて、太一が調整役を果たしてきたことや、千早の強さを孤立させないようにしていた(28巻)という構図が浮き彫りになりました。

一方で、将来は高校の先生になってかるた部の顧問になりたい千早にとっては、かるたのことしか見えておらず、かえって他の人にかるたを続けてもらうことができない、というのは致命的な欠点です。

太一との別離は、ある意味、太一の庇護状態にあったところからの離脱を余儀なくされるわけで、いつまでもイノセントなままではいられないということを意味します。
高3の地区予選および全国大会で、千早は太一の抜けた穴を埋めようと頑張っていますが、それは文字通り太一が果たしてきた役割を担うという以外にも、自分のかるたしか見えていない状態から脱するための、千早が大人になるための通過儀礼なのかもしれないなと思いました。(驚愕の尺取り虫だったけどね! ・・・と明るく言ってみるw)

<ボソっと独り言。気にされる方は回避してください。こちらも長いので後回しがおススメw>

さて、何だかんだと書きましたが、千早が様々な経験を経て、自分のかるた以外の方面でも著しい成長を遂げているのは間違いなさそうです。
不器用ながらも、千早自身の努力で「仲間がいるのは楽しいよ」が実現できた結果なのでしょう。視野が広くなったというか、かるた部の顧問になるという、千早のもう一つの夢への可能性が広がったような印象を受けます。今の千早の目には、以前とは違って色々なものが見えるようになっているのだろうなあと思います。

現在の千早は「想い出がいっぱい」で言うところの、「踊り場で足を止めて 時計の音 気にしている」(シンデレラの魔法が解ける(=大人になる)少し手前)状態ですね。そんな風に考えると、例え苦しくても大人への階段を一歩一歩、一生懸命のぼっていく千早シンデレラが何だか愛しいなあ。

階段をのぼれば、見える風景は少しずつ変わっていく。だから、もしかしたら第三者の視点から見ると、初期の頃の無邪気さゆえの熱さや真っすぐさが、変質してしまったかのように感じられるかもしれない。でも、形は違えど千早はやはり熱くて真っすぐです。例え以前の胸のすくような勢いが失われたとしても、それは成長ゆえのこと。それはそれでいいんだと、最近になって思うようになりました。

これからも夢に向かって自分の足で歩いていくんだよ、そして、すべて掴んで来い!と応援したいです。


【結論(?)】
宮内先生はいい先生ですね。

関連記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。