「ちはやふる」あれこれ

「ちはやふる」ほか、好きな漫画、アニメなど。

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新にとっての団体戦とは何だったのか?

注: 長いです。眼精疲労にお気をつけて...(*´-`)

しつこく言いますが、新ファンで既存の物語との整合性を重視したい派の私は、どくのぬまちのような鬱展開でHPが削られまくった後に投下されたあの三位決定戦を「今でも」「往生際悪く」「大層根に持って」います。
(だからしつこいってばwww)

しかし、173首(33巻)で正規ルートに向かって強制ワープがかかった感があるので、新にとっての団体戦の意義などを総括してみました。特に千早と新の初の公式試合となった三位決定戦については、瑞沢、チームちはやふる、ジェダイ太一の帰還、千早の超サイヤ人化、新の気持ちなどあまりに要素が入り混じって複雑なので、本記事では新サイドに焦点を絞って考えてみました。団体戦そのものの是非については触れないスタンスです。一部ネタバレを含みます。


●新サイドから三位決定戦を振り返る

いきなり個人的邪推をぶっちゃけてしまいますが、私は高3の全国大会の勝敗は、千早、新、詩暢ちゃんのそれぞれが誰かに敗北するという結論ありきで定められたものではなかったかと思っています。(新は千早に、千早は詩暢ちゃんに、詩暢ちゃんは新に負ける三つ巴。)

確か猪熊さん(桜沢先生だったか?)のセリフに「人は負けなければそのままよ 強くはなれない」というのがあったと思いますが、この「人は負けて成長し、強くなる」という思想が「ちはやふる」の世界の神様のルールブックに存在すると仮定してみると、この3人が敗北によって得たものが見えてくるような気がします。

千早 → 世界一になりたいという目標の再確認
詩暢ちゃん → 自身を変えていくことへの決意
新 → 恋愛面とかるた面での変化(獅子の目覚め)


まずは、新の視点から三位決定戦の流れを順に追っていきます。

①瑞沢のキャプテンとしてのみかるたを取る千早に驚く
②千早のかるたを分析し「いつもどおり」いこうとする
③「余計なことを考えん奴が強いんや」という始じいちゃんの言葉を思い出す
④千早を見て「音と札だけの世界 すさまじい集中」と思う  (←多分余計なことを考えている)
⑤「千早 おれやよ」
⑥ガリガリの「せ」狙いで「せ」を取る
⑦千早の目線が少し上向きになる
⑧「ずっと取り返したかった 目の前にいるのはおれやよ」  (←多分すごく余計なことを考えている)
⑨「ちは」が読まれ、千早が太一に気づく
⑩千早が正気に(?)戻る
⑪新が千早に敗北する


ここで言う「余計なこと」とは、試合中にも関わらず、対戦相手の千早に「千早」らしくあってほしいと願う新の想いでしょうか。
一連の描写が千早と太一はチームちはやふるへの回帰を思わせるのに対し、新だけは「せ」の札にそれとは別の想いを託しているように見えます。

新は⑤の「おれやよ」の前に「す」を千早に送っていますが、戦略的には普段の新らしからぬ送り札であり、その次の出札の「せ」を取るためのものだったことが村尾さん視点で描写されています。
そして「す」と「せ」の歌の意味とは...

「住の江の 岸に寄る波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ」

【意味】
住之江の岸に何度も打ち寄せる波のようにいつもあなたに会いたいと思っているのに、なぜ夢の中でさえあなたは人目を避けようとするのか。
(※人目を避けるのは「私」という解釈もあるが、どちらにせよ恋しい人に会えない切なさを表現した歌)


「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

【意味】
川の流れが岩に邪魔をされて二つに分かれてしまっても一つに合流するように、私たちもまた必ず逢おう。



・・・これはまさしくラブ案件。新君ったらシレッとした顔して「す」を送りつつも、千早に向かってめちゃめちゃ矢印を飛ばしています。
(矢印を量的に表すなら、(新)ビー⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒⇒ム(千早)ぐらいでしょうかwww)


でも、いつもなら楽しそうにかるたをしていたはずの千早は、ただただ瑞沢チームを背負って音と札だけの世界にいる。目の前の自分を見ようとすらしない。この時の新の胸を支配するのはどうしようもない寂寥感、でしょうか。

私などはこの辺りの新の心情を想像すると割とガチで泣けてくるのですが(太一を壁ドンしたくなる気持ちもまぁ分かるかも...)、実際問題として新は千早に気を取られて藤岡東チームの様子を気にかけることもなかったわけで、結果として藤岡東の主将は瑞沢の主将に完敗した。

つまるところ、藤岡東は瑞沢と比べて、経験も費やした時間も仲間との絆も責任感も(ついでに作中での描写も)圧倒的に足りなかった。32巻で管野先生に「団体戦を磨いてきた他の高校に失礼や」とバッサリ切られていますが、いくら新でも周回遅れのチーム作りでは「間に合わなかった」のでしょう。
(なお、個人的には新が個人戦に出ないと言ったのは、試合中にチームを顧みることのなかった反省からのチームメイトに対する贖罪の気持ちだったのではないかと思っています。)

表彰式の後、新は一人ソファで「身体のはしから焼かれていくような 息もできないような」感情に手を震わせます。
(新の様子を見た太一が隣に座ってモノローグで「わかるよ」と言っていますが、これには経験者ならではの兄弟愛(?)的な優しい目線を個人的には感じます。だってホラ、千早の視界に入りたくても入れなかった日々や、千早に勝ちたいと思って頑張った日々を太一に語らせたらそりゃあもう色々・・・ねぇ?)

この時、新の中では様々な感情が渦巻いていたでしょうが、一つ言えそうなのは、チームを背負った千早は「いつもどおり」のあの部屋のイメージでは勝てない相手だったということでしょうか。新は藤岡東でチームを作ってみたものの、もしかしたら「おれにとってチームは唯一 太一と千早やったんや」(16巻)の認識から完全に脱却できていなかったのかもしれません。

そこから「いま以上の強さを身につける」(171首)ため、あの部屋のイメージを手放すことを決意します。

好きな子にかるたで負けて これまでの自分でいいなんて思えんのや

それが三位決定戦に敗北した新が導き出した答えです。


●新にとっての団体戦とは

新がチームを作った理由については、管野先生によって新一人では越えられない壁(周防名人)を超えるためであろうことが示唆されています。これについては過去の描写との繋がりが不明瞭な部分もあるのですが(富士崎との練習試合関連とか)、団体戦の経験は今後周防名人と対峙する際に生きてくるようですから、そちらを楽しみに待とうと思います。

では団体戦の結果、新は何を得たのか。
まだ曖昧ではありますが、一言で表すと「他者の存在を感じ、それを自分の力に変えるかるた」でしょうか。これまで始じいちゃんの「最高のかるたのイメージ」という自己完結型だったのが、団体戦を経験したことによって、外に向かって開かれた、新自身が模索して得たかるたのカタチがようやく見えてきたというか。新の中のイメージの引き出しが増えたとも言えるでしょうか(変数を持つ外部からのパワー供給型のイメージ)。

賛否両論はあろうかと思いますが、私は新のカルターとしての本質は、17巻の「詩暢ちゃん 崩していくで」に集約されると思っています。新のかるたは、対戦相手を分析して長所を崩していくイヤなイヤ~なかるたであると描写されていますが、恐らく新というカルターは、クリーンなかるたという自己ルールの範囲内であれば、目的のためなら最良と信じる手段の選択に躊躇がないタイプの戦略家であり、幼いころからずっと名人という高みを目指して勝負の世界にいた厳しさを持ち、しかもそれを楽しんでいる。

171首で詩暢ちゃんが「新とうちに差があるとすれば 流れを呼び込む力」と言っていましたが、新にとっては団体戦のイメージもここ一番のかけ声も流れを呼び込むための手段なのだろうと想像します。捨て札を作っても勝負どころで勝負に出て、きっちり取って相手に気持ちよくかるたを取らせない。新の真骨頂は、こうした対戦相手を見て、状況に応じて打つ手を変えていく柔軟性なのではないかと思います。
(例えば、詩暢ちゃんは昨年とは異なるアプローチ(全方位)で試合に臨みましたが、新に札を読まれていましたね(172首)。ここでは新が「うら」ではなく「相模」と言っていて、さすが詩暢ちゃんの事よく見てるなぁと思いました。)

173首では村尾さんが個人戦で優勝した新を見て、「もう一段強くなろうとしたんや 自分以外の力を借りる不安定で貪欲なかるた」と評しています。じいちゃんの教えによりかるたが一番楽しかったあの部屋のイメージ(固有結界?)によって具現化されたのがニコニコ眼鏡「ちはやぶる」ですが、自分の外にもエンジンを置く今回のかるたはその対極にありそうな感じですね。「ちはやぶる」の対となる力といえば「荒ぶる」(11巻)ですが、もしかしたら団体戦のイメージによってイケイケ(?)眼鏡「荒ぶる」が具現化されたのでしょうか(空想具現化?)

(奏ちゃん解説では、「荒ぶる」は悪い神の力でバランスの悪いぐらぐらと不安定な回転の独楽のようなものとのことですが、例えば日本神話でもスサノオが乱暴者になったり英雄になったりするので、「悪い力」と言い切ってしまうと一義的すぎるかなとも思います。)

上記解釈が正しいか分かりませんが(むしろトンデモ説の可能性あり...(^^;))、もし「ちはやぶる」と「荒ぶる」の両方の力を手に入れたのだとすると、綿谷新(17)の全能感が半端ないことになりますね。ともあれ、新は「あの部屋ではもう取らん」と言っているので、少なくともじいちゃんのかるたからは脱却し、「おれがおれのまま勝つには」(23巻)という問いに対して自分なりの解を得たのでしょう。そして、それがかるた面での獅子の目覚めに相当するものと現段階では理解しています。


●あらちは万歳

小学生以来のエア純愛(失礼)をずっと心の支えとしてきた感のある新ですが、三位決定戦で一度戦ったことにより千早との距離が近くなったというか、現在の等身大の姿を見つめるようになったように感じます。
(同じコマに千早と新の2ショットが普通に描かれるようになっただけでも、何だかもう泣きそうですわw)

26巻では太一と戦った高松宮杯を振り返って「ちはが出たらどうなってたかな」な~んて言っていた新ですが、173首で千早を見て「手に入れたいものほど手放すの」を回想している時には何かを決意したような男の子の顔になった印象を受けました。

173首は長きに渡るあらちは飢餓のところに突然ぶっこまれた少女マンガ的萌え度の高い回でもありました。新くんは千早の「日本一・・・世界一になりたい」というかるたバカ全開の決意表明に、やっぱり惚れ直しちゃいましたかねぇ~(*´艸`)。何だかんだ言ってあらちはに夢を抱いている一読者としては、放置プレイ → 焦らしプレイへの変化に喜んでいいのやらという気も若干しますが(亀の歩み・・・)、かるたバカ同士それで通じ合っているようですから、この2人的にはノープロブレムなのでしょうね。
(でもこのシーン、千早らしい千早がようやく見られて本当に嬉しかったです。これで「ちは」も戻ってきたかな?)


かるたをしてれば おれらの道はいつか重なる 
「いま」じゃなくていいから もっと近づいたら おれのことどう思ってんのか聞かせて 近くに行くから



・・・どう見ても千早を口説いているようにしか見えない新くんですが、どこまでいっても彼らしい相手を尊重した押し方がいいですね。かるたの道の延長線上にお互いがいて、男の子としても千早に近づきたい心意気が滲み出ています。(しかも「近くに行くから」とダメ押し付きですよ奥さん(*´皿`*))

非常にゆっくりとではありましたが、17巻の千早から遅れること16巻分で、新の恋愛面はようやく「ちはやぶる」に到達したのだろうと思います。


【結論(?)】
福井県あわら市には神の子が住んでいる。


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*** COMMENT ***

NO TITLE

ねこむぎこさん、お邪魔いたします。


ふは…もう老眼をしばたいてイッキ読みしてしまいました。
ねこむぎこさんの水を漏らさぬ緻密な分析に感激しているところです!


>173首で千早を見て「手に入れたいものほど手放すの」を回想している時には何かを決意したような男の子の顔になった印象を受けました。


その点について、当方もちょう共感している次第です。
新しい強さをひとつ手に入れ、厳しさを上乗せした男の表情、
なんというか、突破者の顔つきだったなと思います。

この顔つき、
165首で周防さんを前にした太一の上にも
同様の事態が生じていましたが、
(ついでに「札」も黒くなくなって、輝いてましたが)

どちらかといえば太一のそれは、
厳しさというよりも、
迷いから解放された静境の表情といった風情で、
むやみに物事に囚われなくなったひとのそれ、という印象で、

そういう意味でなんというかこう…、
かるたに対する姿勢の“攻守”が彼らふたり、
今は入れ替わっているような気がしています…ぼんやりとですが。


>どこまでいっても彼らしい相手を尊重した押し方がいいですね。かるたの道の延長線上にお互いがいて、男の子としても千早に近づきたい心意気が滲み出ています。(しかも「近くに行くから」とダメ押し付きですよ奥さん(*´皿`*))


奥さん!!(゚д゚)!
ダメ押し付きですね!ええ!まったくwwww!!

ほんとうは彼もグイグイ行きたいのだとは思います。
太一に「ちは札」寄越された手前もありますし。

でもやはりアレが今現在の精一杯というところが、
ふたりとも真正かるたバカ一代野郎である証なのでしょうね。

それにしても、
新くんはすごく教えてほしいのだなぁ…、
じぶんが千早にどう思われているのかということを。
なんと愛らしいことか。

いや、それはすこぶる健全な感情ですよ。
なのに姫があまりにフリーダムすぎるから…>新カワイソス…。

でも、
そんなあんぽんたん具合を含めてまるっと好きやと言えて、
相手の気持ちの熟成を待てる辛抱強さとおおらかさがある、
そこが彼のメイド・イン・綿谷家(@福井県)クオリティですのでw

(同じくらい辛抱強いにもかかわらず、
 告白してからのちの千早の反応を許すことのできなかった
 結果至上主義の真島家クオリティ(@医者家系)で育ってきた太一との、
 そこが一番の違い、だったのかもしれないな、とは思います。)

そんな高校生どもがほんとうに愛し過ぎて尊すぎて、
オバちゃんは悶絶するしかないのデスヨコラ責任取れぃ。


…長くなりまして、大変失礼いたしました。

日々ご多忙と拝察いたしますので、
この季節の変わり目、どうぞ体調にはご留意下さいますよう。

そしてどうぞねこむぎこさんのペースで、
決してご無理なさらず記事をご更新頂ければと存じます。

いつも素敵な記事を有難うございます。



NO TITLE

musicasskyさん、こんばんは!

自分でも読み返すのがイヤになるくらいの長文ですのに(← )、なんとイッキ読みしていただいたとは...((;゚Д゚))!
本当にありがとうございます...!!!


>新しい強さをひとつ手に入れ、厳しさを上乗せした男の表情、
>なんというか、突破者の顔つきだったなと思います。

あの表情、本当に良かったですよね。
若獅子に更に覚悟が加わったような印象を受けました。
私の心の新くんスクラップwwでも上位にランクインです!


>どちらかといえば太一のそれは、
>厳しさというよりも、
>迷いから解放された静境の表情といった風情で、
>むやみに物事に囚われなくなったひとのそれ、という印象で、

私も同じように感じていました。
太一の場合は、普段ならスマートに振る舞えるはずの彼らしからぬ醜態(?)を26巻以降で晒してきたわけですが、カッコ悪くてもケツの穴が小さくても皆に無条件で受け入れてもらえたことで、ようやく「満たされた」のではなかろうかと思っています。

語弊があるかもしれませんが、ちょうど幼い子が結果によってではなくその存在によって愛されることによって、自己を確立して外の世界への興味を広げていくように。
(描写的にはちょっとアレだと思うことも正直ありましたがw)


>奥さん!!(゚д゚)!
>ダメ押し付きですね!ええ!まったくwwww!!

私のアピールの方向性は間違ってはいなかった...フフフ。
できることなら、勝義書店の新ファンのおばちゃんたちとも語り合ってみたいですね。
議題は「綿谷家クオリティとDNAアランドロン因子の発現について」とか楽しそうです♪


>そんな高校生どもがほんとうに愛し過ぎて尊すぎて、
>オバちゃんは悶絶するしかないのデスヨコラ責任取れぃ。

完全同意です!
ついでながら、個人的には173首で千早が新を見送った後の、詩暢ちゃんの「リア充爆発しろ」とでも言いたげな半眼も大好物ですwww
新くんは後で詩暢ちゃんに思いっっっきりイケズ言われてイジられればいいと思うのですヨ。


この度はご来訪ありがとうございました。
寒暖の差が大きい折、musicasskyさんもどうぞお体にはお気をつけくださいませ。
今度、musicasskyさんのブログの方にもお邪魔させていただきますね!

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